Book review

起業家のためのスタートアップM&A入門

スタートアップのM&Aについて、売り手と買い手の準備から交渉、買収後の経営までを扱う実務寄りの本。

全体のサマリー

スタートアップのM&Aを、IPOと並ぶ成長の手段として捉え、売り手・買い手それぞれの準備、交渉、契約、買収後の経営までを整理した本。

中心にあるのは、交渉の場で「他の選択肢がある状態」を保つという考え方。売却を考える前に売らない選択肢を検討すること、仲介や売り手専属のアドバイザーの役割を理解すること、買収後の経営まで見据えることを、事例と実務の流れに沿って扱っている。

感想メモ

全体的に思ったより実務寄りの本という印象。メモっぽい記述もちょっと多かったなとは思った。

  • 冒頭のM&Aへの誤解を解く話は、少し長く感じた

    • M&Aを「身売り」と捉える見方を解き、成長のための選択肢として説明する部分に、結構な長さを使っている印象。
  • IPOが難しくなる中で、M&Aが現実的な選択肢になってくるという出発点が面白い

    • 東証グロース市場の上場維持基準の見直しと、2015年頃から増えたVCファンドの償還期限が近づく話がつながっている。
    • IPOが現実的ではなくなる企業が増えると、M&Aを考える場面も増えてくるのでは、という話が印象に残った。

すでに2015年頃から増えたベンチャーキャピタルファンドの償還に向けたファンド期限のピークが迫っている中、スタートアップM&Aについて、特に売り手の顕在・潜在ともに需要は増え続けています。

  • 代替案をちゃんと用意して交渉を進める姿勢が大事
    • 交渉で合意できなかったときの最善の代替案(BATNA)を用意しておく。IPOとM&Aを並行して進めるデュアルトラックも、選択肢を持っておくための手段の一つ。
    • IPOでも一つの証券会社だけに絞らず、複数と話を進めるなど、他の選択肢を実際に用意しておく姿勢が大事だと感じた。
    • 本書で紹介されるOrigamiの話が印象に残った。消去法でM&Aしか残らなくなってからでは、条件を交渉すること自体が難しくなる、という読み取り。
    • 代替案を考えるだけでなく、実際に選べる状況にしておかないと厳しい。スタートアップがどれだけその状況を持てるのかという現実的な難しさはあるけれど、意識としては持っておきたい。

IPOもM&Aも、価値最大化のためには「他の選択肢がある」というスタートアップBATNAが重要であり、その典型がIPOとM&Aを両睨みするデュアルトラックです。

  • 売り手の立場で買い手を探し、競争してもらうという話が面白い
    • 知り合いとの関係だけでM&Aを考えず、買い手の候補を広く探すこと。本書の「適正価格は最終的な1社で決まる」という話は、代替案を用意しておく話ともつながっていると感じた。
    • 最初から1社に絞るのではなく、複数の候補が価格や条件を提示する状況をつくる。売り手の立場でオークションを進めるという考え方が印象に残った。
    • 仲介会社にとって、買収を繰り返す買い手は継続的な顧客になり得る。本書が指摘する、そうした買い手を優先してしまう利益相反の問題を読むと、誰の利益を考えて交渉を支援しているのかは気になる。
    • 本書も仲介が適するケースはあるとしている。ただ、売り手専属のアドバイザーを勧める話には、著者自身がその仕事をしているファイナンス・プロデュースの共同創業者だから、という面もあるのだろうと思った。著者と会社の紹介

ストロングバイヤーありき、ではない「売り手視点のオークション」を徹底することが重要です。

  • 買収前の調査で、スタートアップの弱い部分にどう向き合うかも面白い
    • 事業承継型M&Aの評価基準では、将来の成長を織り込むスタートアップの価格は割高に見えやすい、という説明があった。
    • 財務責任者がいなかったり、資本政策や資金の管理が十分に整っていなかったりする会社を調べると、課題は次々に見えてくるのだろうと思った。
    • 本書には、細かく調べ始めると際限がないという話もある。弱点があることも含めて、買収を検討するときに向き合う必要があるのだと感じた。

スタートアップはそもそも弱点だらけ 得意なことと成長にフォーカスした組織 細かいところまで見始めたら際限がない

  • 優先株式の説明は、少しVCを安心させる方向に寄っているように感じた
    • 自分は優先株式をもともとVC側に有利な仕組みと捉えていたので、M&Aでも損失が出るとは限らないと念押しする説明が少し不思議だった。
    • 優先株式が一般的になる前の認識を更新するような話が、ちょこちょこ入っている印象。
    • ただし、優先回収できることと元本が保証されることは別。売却額が足りなければ優先株主にも損失は出る。優先回収の仕組み

しかしその後、スタートアップ投資において優先株が普及したことにより、日本でスタートアップM&Aが進むための、手法としての最低限の条件はクリアされました。

  • スイングバイIPOの話が、思っていたより何度も出てきた

  • のれんの扱いは面白いけれど、日本基準の考え方は分かりづらく感じた

    • 「スタートアップはのれんの塊」という見方が印象に残った。チームや創業者の力、将来への期待など、個別には評価しにくい部分を大きく買っている、という理解。
    • 日本基準では原則20年以内の効果が及ぶ期間で規則的に償却し、必要なら減損もする。一方、IFRSでは定期的な償却はせず、減損を検査する。支払い方ではなく、買収後に費用や損失をいつ計上するかの違い。のれんの会計処理の説明
    • 人やチームへの期待で高く評価した会社について、その価値をどう維持し、会計上どう扱うのか。ここは難しいところだと感じた。

スタートアップは、のれんの塊、という前提に立つ

  • キーマンに残ってもらう期間の考え方も面白い
    • 本書が理想とするのは、契約上のロックアップを1年以下にし、本人がやりがいを感じて結果的に3年コミットする形。
    • 買い手が人材に残ってほしいのは分かるけれど、職業選択の自由とも関わる。契約で長く拘束することと、本人が残りたいと思えることの違いが印象に残った。

スタートアップM&Aにおける理想は、契約上の義務としてのロックアップ期間を1年以下とし、当事者である起業家やスタートアップ経営陣が、買い手企業とのPMIやその先の成長にやりがいを感じ、結果として3年コミットして事業成長に貢献した、という形のはずです。